お疲れ様です、たつまるです。
前回の記事から、
【ドロップアウトしても
何とか生きていけるよ】
ということを、
心身ともに限界を迎えるような職場で奮闘しておられる専攻医、専門医、指導医の先生方に知っていただくために、転職・転科を経験された先生方も体験談を掲載しております。
今回は脳神経外科からリハビリに転向されたT先生の体験談です。
ぜひ最後までご覧いただき、悩まれている先生は自身のキャリプランを見つめ直す一つのきっかけにしていただければと思います。
簡単な生い立ち
いわゆる典型的な田舎のサラリーマン,
専業主婦家庭で育ちました.
特別貧乏というわけではありませんでしたが,小さい頃から裕福になりたいという願望があり,
人に感謝されてなおかつお金も沢山もらえる医者って最強!と小学生の頃から考えていました.
当時のテレビドラマ救命病棟24時の江口洋介にかなりの影響を受けて,
救急医かっこいい!となったり,
ドキュメンタリー番組では高名な脳神経外科医の福島孝徳先生の特集をよく観て,脳外科医まじ神!となったり,
お手本のようなミーハーでありました.
その後1浪させてもらい,地元ではない地方国公立大学医学部に入学しました.
何故か脳外科を専攻して無事社畜へ
ハイパー研修医時代
初期研修はそのまま同地区に残り,3次救急のどハイパーな市中病院に行きました.
救急外来では研修医が矢面に進んで立ち,
上級医の先生を呼んだり相談せずに
患者を捌けることが至高とされる
狂った価値観の中で,
マゾ気質を磨いていきました.
今となっては考えられませんが,
自分の夢だった医者に実際になることができたのがよほど嬉しかったのでしょう.
自分の当直だけでなく,
無給で同期の当直の手伝いをしたり,
身を削ってでもあらゆることを吸収して,
早く一人前の医者になりたいちょっと一心のちょっとウザいやつだったと思います.
研修でまわる科はほとんど楽しく,何科になってもいいと思っていたので専攻科を決められずにいるタイプでした.
その中で脳外科は正直なところやや退屈な方でした.
手術も難しくてよくわからないし,神経学的所見をとるのも苦手で,
なんか得体の知れないやや陰湿な印象の科,といった感じで,
正直なんで脳外科になったのか不思議なぐらいですが,そんなネガティブな印象を持っている私のことを
何故か脳外科の先生が異常に可愛がってくださり,とても熱い勧誘を受けたことを間に受けて,
そのまま脳外科に入局してしまった感じです.
勧誘って大事ですよね!
脳外科の道へ
今のところあまり興味が湧かないからこそ,一生かけても飽きないだろう!と
都合よく解釈して自分を納得させていましたが,当時は顕微鏡手術ができるようになる自信もなかったし,興味があんまりなかったので全然知識もなかったですし,
同期達が優秀すぎて,入局してからは焦りで禿げそうでした.
しかし,初期研修を経てプロのマゾヒストになっていたおかげで,帰りが何時になろうが問題ありませんでしたし,忙しいことにやりがいを感じるようになり,
次第に適応していきそれなりに楽しく脳外科ライフを送っていたわけであります.
それこそ,当番関係なく休日も毎日回診しに行くのは当たり前.
来ない後輩はやる気ない!けしからん!と思っていた典型的な老害気質も漏れなく
持ち合わせていました.
退局〜転職まで
ここまでは,
退局なんぞとは全く無縁の医局の鏡.
日本の医療制度に何ら疑問も感じずひたすら働き続ける社畜だったわけで,
急にどうした?となるわけですが,
ありきたりですが結婚・子供ができたことで大きく状況が変わってきました.
家庭を持って変わる価値観
入局後数年経ってから女医さんと結婚し,
そこから数年後に第1子が誕生します.
妻もハイパーの気質を持った外科医でしたので,産後まもなく復帰しました.
家事子育ては授乳以外はやれる方が率先してやる方針となるわけですが,
脳外科のほうが仕事拘束時間が長く,必然的に妻の負担割合を増やしてしまうことになります.
ですがまだこの時点では妻が頑張ってくれて,ギリギリを保っていました.
しかし,その後に第2子が誕生し,いよいよ家庭が回らなります.
当時私は医局斡旋のバイト含め当直が月7〜8回入っており,週2回は必ず夜不在
なおかつ他も緊急手術等で呼ばれることもありますし,そもそも定時で上がるという概念がほぼ存在しない環境でしたので,
家のことは育休中の妻にほぼ任せっきりになってしまっていました.
妻は疲れ果ててしまって,
私も早く家に帰らねばとそればかり考えるようになり,状況を説明してこっそり仕事を途中で抜けさせてもらうことが頻繁になりました.
時間外や休日の医局のイベントには一切参加しないなど,医局にも配慮してもらいながらやりくりしていました.
しかしながら,こんなその場しのぎのようなやり方では根本的には何も変わらないと感じるようになり,
以前のようにフルパワーで働けなくなっていたことも踏まえ,
家族のため,自分のために働き方を今一度見直さなければならない.
家族と一緒に過ごす時間の確保を優先したいと強く思い,転職を考えるようになりました.
ベビーシッターや家事代行などを上手く使えば物理的には乗り越えることもできたのかもしれませんが,そうまでして今の仕事を続けていくのが本当に幸せかと考えると,
答えを出すのはそれほど難しくはありませんでした.妻も理解してくれました.
転職の難しさ
しかし退局・転職を考える上で
やはり沢山葛藤はありました.
まず引っ越しは考えていなかったので,同地区内で転職する必要があったこと.
そうするとほぼ全て関連病院であるため,
退局したら
脳外科医としての転職,キャリアは諦めなければならないことが一つありました.
顕微鏡手術もある程度できるようになり,これからさらに技術を磨いていきたい気持ちもかなりあったので,これには相当悩みました.しかし,そもそも家庭を優先するという目的のためには致し方ないと思い,数ヶ月考え踏ん切りがつきました.
そこが解決すると,今度は今までの
驚くような安月給・長時間労働への怒りが
今更ながら込み上げてきたり,
医局に属していることで,思わぬ転勤等で
将来設計が全くもって不透明となってしまう可能性に改めて辟易するなど,
悪いところばかり見えてくるようになりました.
一方で,医局の先生達とは私としては上手く付き合っていたと思っていたので,
お世話になった先生達に対する後ろめたさ,申し訳なさや,医局と喧嘩別れになってしまった時に同じ地区にいづらくなってしまうかもしれない不安など,本当に様々でした.
そんな中でも転職情報を収集していくわけですが,ひとまず有名所の転職会社に3-4社ほど登録しました.
電話が嫌だったので,
登録時に「すべてメールでのやり取りでお願いします」と備考欄的なところに書きました.
確かに一度もかかってきませんでしたので,電話が嫌な人はこれおすすめです.
超大手の会社は,メールで非常に丁寧に対応してもらい,私自身のキャリアをできる限り活かせるような方向性で多くの提案をいただきました.
非公開で持っている転職情報は沢山あることがわかりました.
その中で,やはり脳外科のスキルを活かして働けるものとして自ずとリハビリ医かな.となり,検討していくことになります.
その後,転職会社から得ていた求人の中で,自分が希望する病院にたまたま伝手があったため,最終的に転職エージェントを介さずに面談にこぎつけることができました.
面談では非常に好意的に受けてくれましたが,やはり退局に関しては心配されました.
関連病院ではないものの,大学とは関わりがあるため,波風たてず,穏便に越したことはないということです.
医局との話し合い
医局に話をしたのは,転職先と初回の面談をして就職できそうな感触が分かってからですが,もちろんそれは伏せています.
医局とは何度も話し合いをしました.
もちろん最初の時点で退局の意志は決まっていましたが,最初からいきなり退局と突きつけて喧嘩別れになりたくなかったので,長期戦を覚悟していました.
まずは家庭の現状を理解してもらい,
仕事をセーブするところから交渉し,
徐々にフェードアウトする作戦にしました.
段階を踏んで,脳外科医としてのキャリアを諦め家庭を優先したいこと,
そのためにリハビリ医へコンバートしたいことを話していきました.
医局も,医局人事として色々な手立てを考えてくれましたが,やはり医局から自由になりたいという気持ちがどんどん強くなってきていましたし,自分だけ特別な人事で動くのも憚られるという理由で,
自分で就職先を検討したいと話して,最終的に理解してもらえました.
その後の教授への話は,事前に情報が伝わっていましたので,特に揉めることもなく,
すんなりと理解をしてもらえました.
振り返りますと,時間はかかりましたが,
私の場合には何度も話し合いをしたことが良かったのかなと思います.
もちろん医局の先生方が非常に良い方々であったお陰ということは,言うまでもありませんが.
一般的には,医局と話をする際には退局ありきで話をして,相手に検討の余地を与えないというストラテジーがよく言われますが,
私の場合にはそれは当てはまらなかったので,こういったケースもあるという形でご参考になれば幸いです.
転職後
現在は希望の病院に無事就職でき,
リハビリ医として週5勤務しています.
もちろん今までの脳外科業務とは全く異なります.緊急入院もないですし,手技もほとんどないので,基本的にゆっくりとした業務で,少々物足りなさを感じることもありますが,脳卒中の回復期の過程を診ることができるのは非常に勉強になりますし,
全身を診る必要性があるので内科的なことを今更勉強してへー面白いとなったりしています.
何より定時で上がることができ,土日祝日は休みなので,当初の希望であった家庭の優先を実現できており,妻の負担も減り(…と思います),子供と遊んだり家族で旅行に行ったりする時間が沢山増えました.
また,仕事以外のことに向けられなかった他の分野への興味も湧いたりして,読書する機会も増えました(要は暇になったということですが).
振り返ってみて
研修医,結婚前の頃の仕事至上主義の自分から考えれば,そのたった数年後に想像もつかない進路に進みました.ですが振り返ってみれば,専攻科を選ぶ際に正直何科になってもやりがいはあるだろうし,どこでも適応できると思っていたぐらいだったので,逆に言えばもともと脳外科へのこだわりが薄かった故にこういった選択ができたといえるかもしれません.
いずれにせよ,環境が変われば優先事項も変わる可能性があります.
私が医局に残り脳外科医としてのキャリアを続けることを選んでいた場合は,家族を犠牲にすることになったと思います.
退局,転職をお考えの先生方には皆それぞれ環境や事情の違いがありますので,方法論の正解は一つではないと思います.
私の周辺の友人や知り合いの中には,退局の際に喧嘩別れになってしまったケースもありますが,そういった先生方でも問題なく開業して活躍されていたり,訪問診療を始められた先生もいらっしゃいます.
どういった形であれ,退局後に道が閉ざされることはないでしょうし,最終的には自分自身が決めた道が正しいわけですので,最優先すべきことのために行動するだけだと思います.
ただし,上手くやめる,転職するに越したことはないですので,そこについては最善を尽くすように努力すべきとは思います.あくまでもケースレポートにすぎませんが,お悩みの先生方にとって少しでも私の経験がご参考となれば幸いです.
まとめ
今回はT先生に転職された経緯をご執筆いただきました。
同じような境遇で悩んでいる先生も多数いらっしゃると思いますので、ぜひ一つの参考にしていただけますと幸いです。
今後も体験談シリーズは続きますので、お楽しみに!
こんな記事も書いてます
うまくいけば、バイト先から高待遇で勧誘されることも?
その件は私のnoteで記載しております。