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はじめまして、若手医師にもかかわらずドロップアウトした流浪医たつまると申します。

この記事では、どのようにして流浪医が誕生したのかご紹介したいと思います。

ハイパー科を選択

近年、QOLの良い科が人気の中、なかなかハイパーな科を選びました。

なんでそのような選択になったか、反省をこめてご紹介します。

部活ばかりしていた医大生時代

たつまるは医大生時代は大して勉強せず、進級できればいいやという発想の怠惰な学生でありました。

体育会系の部活に入り、別にそのスポーツで生きていくわけでもないのに

そのスポーツのために練習して、筋トレして、部活で酒飲みまくって、

みたいな感じでしたね。振り返ると、楽しかったですけど

何してたんでしょうかねww

セールスポイント:体育会系であること

こういう体育会系の学生っていますよね

そういう人の売りは、ノリが良い・体力がある・上下関係がしっかりしてる

みたいな体育会系であること くらいしかセールスポイントが無いんですよね。悲しいですが、

勉強してないので当然ですねww

QOL<燃える・熱い という思想

そんなセールスポイントが弱い上に、

かつ発想・考え方も、燃えるかどうか、という謎の判断基準が生まれます。

自分もその基準が第一に出てくる阿呆でしたので、

当然命に直結し、しんどいけどやりがいのあるハイパー外科を選びました。

地獄の日々

さてそんな安直な理由で飛び込みますと、

予想通り地獄を見るわけです。

僕の状況は、土日も当然出勤し、オンコールという制度はなく

病棟・救急外来からのコールは全て自分という状況でした。

最初はそのような状況でもすぐに駆けつけて、頑張る自分に酔っていたと思います。

加えて、上司もそれをこなしていましたから、自分も出来なければ、と思っていました。

そしてその病院は専攻医が自分だけでしたので、

多分他の専攻医も同じ状況なんだろうと思っていました。

3年目は地獄ってよく聞きますし。

適応障害・うつ

数ヶ月経ち、徐々に気合いではどうにもならなくなってきました。

次第に希死念慮も出現し、自分で本当に危ないと思いながらも、誰にも言えない、という状態でした。

妻が異変に気づいてくれて、もう仕事に行かせない!と止めてくれたことで

休職する決心がつき、現在転職活動中です。

現在は休養と内服、そして家族のおかげで、状態は安定しています。

流浪医のこれから

結果として、心身ともに疲弊し専門医制度からドロップアウトすることに決めました。

近年では医局に属さずに、専門医プログラムを持つ市中病院を選択される方々も多いですが、

地方では医局の力はまだまだ健在であります。

流浪人(るろうに)ならぬ流浪医となった医師は一体どうなるのか?

若手の皆様の参考になれば幸いです。

よろしくお願いします。

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